20180602 に追記しています。
ニュースに、「株式会社ウチらめっちゃ細かいんで(めちゃコマ)」というところで働く元引きこもりの人の記事が載っていた。
佐藤さんは、今年12月「株式会社ウチらめっちゃ細かいんで(めちゃコマ)」を立ち上げました。
日本初という「ひきこもり当事者・元当事者主体」の株式会社です。
ITに関する教育事業や制作事業、人材紹介・派遣事業などを軸に、完全在宅勤務の形態をとっています。
当事者を正社員に採用しても、再度ひきこもってしまう可能性もあるため、「めちゃコマ」ではいきなり採用はしてないそうです。

質問:改めまして、社員の皆様のひきこもり当事者歴をお伺いしたいと思います。

執行役員最高執行責任者(COO)山瀬健治氏(以下山瀬):大学には現役で受かったのですが、ADHDの症状で、レポートが締め切りまでに出せないなど色々ありまして、大学を中退してしまったんです。

その後は、高校の頃からプログラムを独学でやっていて、多少はスキルがあったのでIT企業に入ったのですが、どこに行っても2年か3年ぐらいで、やはり納期の問題にあたり、適応障害になりました。対人関係では無いのですが、納期の見積もりが甘くて。

恐らく、脳のワーキングメモリーの少なさ(ADHDの特性。仕事などのための、短期の記憶領域が小さい)から来ると思うのですが、2、3年で退社しては、1、2年ひきこもる。

経済的な問題もあるし、また頑張ろうと働くけど、2、3年働いてはひきこもり、適応障害を起こして、ひきこもる事を繰り返していました。

実は、今でも体調が必ずしも良くなくて、フルでは仕事を入れていないんですね。そういった意味で、ひきこもりの期間は、断続的に10年は越えています。」

それにしても社長が引きこもり経験者となると心強いですよー。
心がほっこりしちゃいました。

教育事業部リーダー 平野立樹氏(以下平野):私は中高一貫進学校に、中学受験で進学しました。

中学校は無事に卒業しましたが、高校1年の時に母を病気で亡くしました。

それと合わせて進学校ですから、とくに高校に入ってくると、どうしても大学進学という空気が強かったです。

なおかつ、たまたま選抜クラスという、ある程度、学業成績で上位のクラスに入って、なまじトップ近くの成績を取っていたせいで、教師としては「東大に何人」が、保護者への凄いアピールになるから「平野、東大に行け!」というプレッシャーが強くて。

確かに、私の当時の志望校は東京大学ではあったんですけれども、それを、学校の宣伝のために強制されるのは非常にプレッシャーで。

母が亡くなって、父と私の二人暮らしだったのですが、当時は父とも仲が良くなかったので、学校に行けば東大進学の煽りが来て、家に帰ったら居心地が悪く、精神が休まる場所がなかったです。

それでも、何とか我慢していたつもりでしたが、高校二年生の文化祭が終わった翌日、普通通りに通学しようと思って電車に乗ったら、急に気持ち悪くなって電車を降りました。

その時は風邪だろうか?と思いましたが、いくら内科に行っても良くならないので、精神科の紹介をしていただき、これは風邪ではなく、精神的な症状によるものですと言われました。

それからは大学は別として、高校は卒業しようと思ったんですが、やはり進学校ですと、2年生までに、3年生の内容は大体、終えてしまって、3年生は大学受験対策になってしまう。

それは嫌だと言っても、出席しないと卒業要件は満たせない。

じゃあ中退します、と。

そして、すぐに大検(現在の高卒認定試験)を取りました。

長く断続的に続くひきこもり生活

しかし取ったは良いんですけれど、体調が十分ではない。

専門学校だったら入試も無いし、大学に編入できる制度があるから、行けるかなと思いましたが、それも上手く行かなかった。

専門学校に失敗した時は、これはもうダメだなと思って、ずっとひきこもっていて。

少し回復してから、とある通学制の大学のAO入試に受かったんですけれど、それもまだ、結果的には無理していたみたいで、1年うだうだして辞めました。

最後に通信制の大学ですね。「サイバー大学」という、直接ではないですがソフトバンクがやっている大学がありまして。そこですとレポートや小テストとかも、締め切りさえ守れば、真夜中の2時3時にやろうが、その時間に書いていようが、文句を言われずに単位を取れる。

これほどまで、自分の環境に合わせてくれる学校があって、それでも卒業が出来ないなら、もう完全に、人生ずっとひきこもろうと言うほどの気持ちだったのですが、そちらは上手く行って、4年であっさり、単位を落とすこと無く卒業できました。

しかし通信制大学は、社会人の方、専業主婦の方、リタイアした方が非常に多くて、その方々は卒業しても必ずしも就職する必要は無いんです。

ところが私は就職したかった。しかし昼夜逆転の生活リズムで雇ってくれる会社は、おそらく無いだろうと。求人票もダウンロードしたけれど、空でした。

出来たばかりの大学だから不備もあったのだと思いますが「行き先、無いんだな」と。

で、またひきこもり始めて、その中で、ようやく、ひきこもり当事者向けの「居場所」を知りました。

10年だったら10年、ずっと出ていなかったわけでは無いのですが、行っては落ちて、行っては落ちてという感じで、断続的に10年ぐらいになっていると思います。

一通のメールで人生が変わった

そして、ひきこもりの「語る系」居場所の「ひきこもりフューチャーセッション庵」という、大きいイベントがありました。

こちらでフロンティアリンク代表の佐藤と、初めてお目にかかりました。

佐藤のいとこの方が、ひきこもりという事で、教育を通じて何かしたいというアプローチに凄く心を惹かれまして。

あと、たまたま中高一貫の私立に通っていた時、趣味のレベルですが、コンピュータ部でプログラミングをやっていて、父親もITの仕事をやっていましたので、非常に興味を持ち「何かお手伝いできることは無いですか?」とメールをしました。

そこで「めちゃコマ」の教育事業の前身となる「プログラマスター・ひきこもりサポート特別コースを、今年の7月30日に始めるので、ちょっとモニターとか講師をやってみませんか?」とお話をいただきまして、そこで講師となり、現在に至ります。

長くなってしまいましたが、これが私のひきこもり歴になります。

結論としては、ずっとひきこもっているわけでは無いのですが、焦っては出て、その焦りから体調を崩して、ヤバいなと思って出て、また焦って体調を崩して、断続的に10年程度とお考えいただければと思います。」

私はすごい気持ち分かります。
理解してもらえるとは思ってないんですけど、それでもつらいですよね。
このまま今日は休みたいと思います。
皆様おやすみなさい。

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アラフォーゲイです。

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